お久しぶりです。5男のかなたです。
このたびはあらたがブログの更新義務を怠ったことによりみなさまには多大なるご迷惑をおかけしました。まことに申し訳なく存じます。
同期である私が彼のバトンを奪い取ることでブログを回していきたいと思いますので、どうかご容赦願えないでしょうか。
このくらいのことで責任を果たせないということは重々承知しておりますがどうかお願いします。
・・・お願いします。ほんと、どうか、
・・・ありがとうございます!
それでは今回はブログらしく13期の卒業旅行の思い出について書きたいと思います。
実は書く内容に悩んでいたときに14期のみんなが沖縄に卒業旅行にいくことになったということを耳にしたのです。そこで、卒業旅行で沖縄に行くという14期のためにできることはないかと考え、今回一年越しに沖縄旅行の思い出を綴ろうと思ったというわけです。
四泊五日の長めの滞在でわかったことですが、沖縄は楽しもうと思えば無限に楽しむことのできる非常にエンターテイメント性の高い観光地です。14期のみんなにはせっかく沖縄に決まったのですから是非思いっきり楽しんでもらいたいものです。そして14期でないみなさん(FreeD部員・全国数人ほどの外部の読者のみなさま)にも沖縄旅行がどれだけ楽しいのかということが伝われば幸いです。
バトンは僕の見る限りFreeD史上一番Jazzがうまいけーすけさんに渡したいと思います。僕がJazz勝てないと思っている偉大な先輩です。よろしくお願いします。
――――――――――――――――
【第一話】 出発
沖縄
それは13期にとって思い出の地。
そして――
そう、確かにあの日、
僕たちは一世一代の沖縄での大勝負に勝利したのだった。
1
今日は2016年3月25日、卒業旅行出発の前日であり、東京大学の卒業式だ。僕は今年卒業することができなかったが、スーツや袴に身を包んだ華やかな同期たちをこの大学から見送るために普段より1時間早く目を覚ました。眠気覚ましのコーヒーを流し込みながら、一度開かれたのか、折り目がズレた新聞を一瞥し、旅立とうとしているみんなに思いを馳せた。3年間現役時代を共有し、それからもずっと男女問わず仲良くしていた同期にこれから会える。しかもその中にミス東大の澤田有也佳さんもいるとなれば普通の人(特に男、それも健全な)であればワクワクしないはずがない。
だが僕は、巨大な黒い塊に頭を押しつけられているかのような気だるさだった。生まれてから今までずっと、憂鬱が僕の頭上に存在していたと思えてしまうほど、自然とそれはそこにあった。
この憂鬱の原因は僕にはわかっていた。
それは明日、
僕は、
いや、
13期みんなが死んでしまうからである。
2
沖縄という島は本島からかなり離れているのにもかかわらず日本人にとっては身近な存在だ。読者の方も天気予報の地図で毎朝沖縄を見ると思う。地図によると、沖縄は東京から北西750kmほどの位置にある島であり、周りは第二象限における双曲線のような巨大な壁に囲まれている。旅行地が沖縄に決まった日から抱いていた不安。それは、僕たちを乗せた沖縄への飛行機がこの「壁」に衝突し墜落してしまうのではないかということである。
僕はその日、すぐさま「壁」の実態について調査を始めた。できることを残したまま、最期に後悔はしたくないと思ったからだ。観光地である沖縄に関することであるから調査ははかどるかに思われたが、驚いたことに東大の図書館やデータベースにはそれらしき壁に関する記述は一切見つけられなかった。信頼できる友人の情報網をたどっても「壁」については何もわからず、僕をより一層苛立たせた。以下は少ないながらも僕が苦労して得た研究成果である。
・縮尺も考慮して地図から判断すると、「壁」は長いだけでなくかなり分厚い。そしてその巨体が自立するために十分なほどの硬い物質でできているということも合わせて考えると、飛行機程度の質量と速さでは突破は困難であり、突き破ったとしてもその際の衝撃に機体と乗客は耐えられるはずもないと推測できる。
・「壁」の地図上の表示にはバリエーションが存在する。テレビ業界で保守的な役目を期待されるNHKは、白い三つの線分で沖縄を囲っており、硬く冷たい質感を連想させる。それに対して大衆受けを狙うキー局ニュース番組の天気予報ではオレンジ、赤、水色のようにネオンサインのようなポップな色合いで滑らかに描かれることが多い。したがって「壁」についての共通認識は存在せず、表示方法は各テレビ局の裁量に委ねられていると結論付けられる。
・「壁」は、画面の地図を北西と南東に完全に分断することなく端っこに隙間を残していることもあり、その場合迂回すれば通れる可能性がある。「壁」は潮の満ち引きのように伸び縮みする。したがって完全に地図を横切っている日とそうでない日の違いの要因を探ることが重要である。
懸命な調査も虚しくこれ以上の情報は得られなかった。そして一番大事な「壁」が伸び縮みする現象の法則を見つけ出すことは今日この日までできなかったのだ。無力で小さな僕にできるのは、祈ることだけである。明日、「沖縄ウォール」が縮み飛行機が通り抜けるための隙間ができるように祈ることしかできないのだ。
僕は本郷キャンパスでみんなと会ったのち、湯島天満宮と近所の神社で参拝してから帰宅した。やれることは全てやった。あとはよい結果を期待して待つだけである。
3
そしてこの世に生を受けてから一番長い夜が明けた。今日は2016年3月26日、卒業旅行出発の日である。机には布団に入る前に書いた遺書と、成人式の日に父親から貰った万年筆が無造作に置いてある。階段を下りて父と母、そして妹と一緒にいつもと変わらぬ朝食を食べる。
そして恐る恐る顔を上げた。
すると、食卓の目の前にあるテレビ画面にはしっかりと「壁」――それも、沖縄を完全に囲った――が映し出されていた。
不安は的中したのだ。絶望に打ちひしがれた僕は涙を抑えきることができなかった。いつも薄味の母の料理が少し塩辛かった。家族はみんな泣いている僕のことを訝しがっていた。
「いってきます」という言葉に「行ってらっしゃい」と返した母とも今日でお別れだと思うとまた泣き出してしまいそうだった。今日まで育ててくれてありがとう。僕は育った家を後にした。
アメリカから一時帰国した部長も加え13期メンバーが空港に揃った。およそ4年前から共にサークルでの日々を過ごした仲間たちだ。みんなは再開を祝った。
「私沖縄初めてなんだ!」、「楽しみだね!」
フッ、お嬢さんたち、残念ながら僕たちは沖縄にたどり着くことなど絶対にできないのですよ。
そして搭乗が始まった。僕だけ浮かない顔をしながら飛行機に向かった。部長と橋野さんと僕で並んで座った。前の座席を無心に見入っていたそのとき、視界の端で会話を楽しんでいる二人を捉えた。
哀れだ。これから始まるはずの旅行を心待ちにしている同期たちは「壁」という大きな存在の前では、滑稽なピエロに過ぎないのだ。
残された時をせめてこの同期たちと大切に過ごしたい。いつもそこにいて、普段有り難みを感じることはなかったかもしれないけれど、その同期たちが僕にとってこれ程大きな存在になっているということにハッとさせられた。みんなと過ごした何気ないたくさんの日々が脳裏に浮かび、うねりとなって僕を襲った。僕は一度乾いた目尻をまた濡らしてしまった。
だが意外なことだが、少しすると僕の心はさざ波ひとつたたない水面のような平穏を取り戻した。離陸すると、吹っ切れた僕は連日の調査の疲れと遺書を書くための徹夜のせいで睡魔に襲われてしまい、安らかに眠りについた。
そして――
4
目が覚めると僕たちは日差しが照りつける沖縄にいた。撫でるように優しく吹き抜ける風は、はるばるやってきた僕たちを歓迎してくれているようだった。
何が起きたのか全くわからない。だが、これは僕たち13期の絆が起こした奇跡に違いないのだ。
なぜならば、そうでなければこの文章と13期に何も関わりがなくなってしまうからだ。
僕たちの卒業旅行がこうして始まった。
【第一話 完】
このたびはあらたがブログの更新義務を怠ったことによりみなさまには多大なるご迷惑をおかけしました。まことに申し訳なく存じます。
同期である私が彼のバトンを奪い取ることでブログを回していきたいと思いますので、どうかご容赦願えないでしょうか。
このくらいのことで責任を果たせないということは重々承知しておりますがどうかお願いします。
・・・お願いします。ほんと、どうか、
・・・ありがとうございます!
それでは今回はブログらしく13期の卒業旅行の思い出について書きたいと思います。
実は書く内容に悩んでいたときに14期のみんなが沖縄に卒業旅行にいくことになったということを耳にしたのです。そこで、卒業旅行で沖縄に行くという14期のためにできることはないかと考え、今回一年越しに沖縄旅行の思い出を綴ろうと思ったというわけです。
四泊五日の長めの滞在でわかったことですが、沖縄は楽しもうと思えば無限に楽しむことのできる非常にエンターテイメント性の高い観光地です。14期のみんなにはせっかく沖縄に決まったのですから是非思いっきり楽しんでもらいたいものです。そして14期でないみなさん(FreeD部員・全国数人ほどの外部の読者のみなさま)にも沖縄旅行がどれだけ楽しいのかということが伝われば幸いです。
バトンは僕の見る限りFreeD史上一番Jazzがうまいけーすけさんに渡したいと思います。僕がJazz勝てないと思っている偉大な先輩です。よろしくお願いします。
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【第一話】 出発
沖縄
それは13期にとって思い出の地。
そして――
そう、確かにあの日、
僕たちは一世一代の沖縄での大勝負に勝利したのだった。
1
今日は2016年3月25日、卒業旅行出発の前日であり、東京大学の卒業式だ。僕は今年卒業することができなかったが、スーツや袴に身を包んだ華やかな同期たちをこの大学から見送るために普段より1時間早く目を覚ました。眠気覚ましのコーヒーを流し込みながら、一度開かれたのか、折り目がズレた新聞を一瞥し、旅立とうとしているみんなに思いを馳せた。3年間現役時代を共有し、それからもずっと男女問わず仲良くしていた同期にこれから会える。しかもその中にミス東大の澤田有也佳さんもいるとなれば普通の人(特に男、それも健全な)であればワクワクしないはずがない。
だが僕は、巨大な黒い塊に頭を押しつけられているかのような気だるさだった。生まれてから今までずっと、憂鬱が僕の頭上に存在していたと思えてしまうほど、自然とそれはそこにあった。
この憂鬱の原因は僕にはわかっていた。
それは明日、
僕は、
いや、
13期みんなが死んでしまうからである。
2
沖縄という島は本島からかなり離れているのにもかかわらず日本人にとっては身近な存在だ。読者の方も天気予報の地図で毎朝沖縄を見ると思う。地図によると、沖縄は東京から北西750kmほどの位置にある島であり、周りは第二象限における双曲線のような巨大な壁に囲まれている。旅行地が沖縄に決まった日から抱いていた不安。それは、僕たちを乗せた沖縄への飛行機がこの「壁」に衝突し墜落してしまうのではないかということである。
僕はその日、すぐさま「壁」の実態について調査を始めた。できることを残したまま、最期に後悔はしたくないと思ったからだ。観光地である沖縄に関することであるから調査ははかどるかに思われたが、驚いたことに東大の図書館やデータベースにはそれらしき壁に関する記述は一切見つけられなかった。信頼できる友人の情報網をたどっても「壁」については何もわからず、僕をより一層苛立たせた。以下は少ないながらも僕が苦労して得た研究成果である。
・縮尺も考慮して地図から判断すると、「壁」は長いだけでなくかなり分厚い。そしてその巨体が自立するために十分なほどの硬い物質でできているということも合わせて考えると、飛行機程度の質量と速さでは突破は困難であり、突き破ったとしてもその際の衝撃に機体と乗客は耐えられるはずもないと推測できる。
・「壁」の地図上の表示にはバリエーションが存在する。テレビ業界で保守的な役目を期待されるNHKは、白い三つの線分で沖縄を囲っており、硬く冷たい質感を連想させる。それに対して大衆受けを狙うキー局ニュース番組の天気予報ではオレンジ、赤、水色のようにネオンサインのようなポップな色合いで滑らかに描かれることが多い。したがって「壁」についての共通認識は存在せず、表示方法は各テレビ局の裁量に委ねられていると結論付けられる。
・「壁」は、画面の地図を北西と南東に完全に分断することなく端っこに隙間を残していることもあり、その場合迂回すれば通れる可能性がある。「壁」は潮の満ち引きのように伸び縮みする。したがって完全に地図を横切っている日とそうでない日の違いの要因を探ることが重要である。
懸命な調査も虚しくこれ以上の情報は得られなかった。そして一番大事な「壁」が伸び縮みする現象の法則を見つけ出すことは今日この日までできなかったのだ。無力で小さな僕にできるのは、祈ることだけである。明日、「沖縄ウォール」が縮み飛行機が通り抜けるための隙間ができるように祈ることしかできないのだ。
僕は本郷キャンパスでみんなと会ったのち、湯島天満宮と近所の神社で参拝してから帰宅した。やれることは全てやった。あとはよい結果を期待して待つだけである。
3
そしてこの世に生を受けてから一番長い夜が明けた。今日は2016年3月26日、卒業旅行出発の日である。机には布団に入る前に書いた遺書と、成人式の日に父親から貰った万年筆が無造作に置いてある。階段を下りて父と母、そして妹と一緒にいつもと変わらぬ朝食を食べる。
そして恐る恐る顔を上げた。
すると、食卓の目の前にあるテレビ画面にはしっかりと「壁」――それも、沖縄を完全に囲った――が映し出されていた。
不安は的中したのだ。絶望に打ちひしがれた僕は涙を抑えきることができなかった。いつも薄味の母の料理が少し塩辛かった。家族はみんな泣いている僕のことを訝しがっていた。
「いってきます」という言葉に「行ってらっしゃい」と返した母とも今日でお別れだと思うとまた泣き出してしまいそうだった。今日まで育ててくれてありがとう。僕は育った家を後にした。
アメリカから一時帰国した部長も加え13期メンバーが空港に揃った。およそ4年前から共にサークルでの日々を過ごした仲間たちだ。みんなは再開を祝った。
「私沖縄初めてなんだ!」、「楽しみだね!」
フッ、お嬢さんたち、残念ながら僕たちは沖縄にたどり着くことなど絶対にできないのですよ。
そして搭乗が始まった。僕だけ浮かない顔をしながら飛行機に向かった。部長と橋野さんと僕で並んで座った。前の座席を無心に見入っていたそのとき、視界の端で会話を楽しんでいる二人を捉えた。
哀れだ。これから始まるはずの旅行を心待ちにしている同期たちは「壁」という大きな存在の前では、滑稽なピエロに過ぎないのだ。
残された時をせめてこの同期たちと大切に過ごしたい。いつもそこにいて、普段有り難みを感じることはなかったかもしれないけれど、その同期たちが僕にとってこれ程大きな存在になっているということにハッとさせられた。みんなと過ごした何気ないたくさんの日々が脳裏に浮かび、うねりとなって僕を襲った。僕は一度乾いた目尻をまた濡らしてしまった。
だが意外なことだが、少しすると僕の心はさざ波ひとつたたない水面のような平穏を取り戻した。離陸すると、吹っ切れた僕は連日の調査の疲れと遺書を書くための徹夜のせいで睡魔に襲われてしまい、安らかに眠りについた。
そして――
4
目が覚めると僕たちは日差しが照りつける沖縄にいた。撫でるように優しく吹き抜ける風は、はるばるやってきた僕たちを歓迎してくれているようだった。
何が起きたのか全くわからない。だが、これは僕たち13期の絆が起こした奇跡に違いないのだ。
なぜならば、そうでなければこの文章と13期に何も関わりがなくなってしまうからだ。
僕たちの卒業旅行がこうして始まった。
【第一話 完】
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