はじめまして。21期のクロいいます。
まだサークルの人と一度も面と向かってお会いしたことがないので、実はその存在を疑ったりしていて、このブログを誰に向かって書いているのかを計り兼ねたりもしているのですが、せっかくがまに回してもらったので最近のちょっとした感慨について書こうと思います。


緊急事態宣言が解除されて、久々のバイトに向かおうと電車に乗った時のことです。宣言解除後すぐだったのでそれほど混んでいるというわけではなかったのですが、それでも僕の周りにも他人がちらほら、各々スマホを見たり本を読んだり音楽を聴いたりしていました。
この、こんなに間近に人がいる、集団の中に自分がいる、社会の中に自分がいるという感覚がものすごく久しぶりで、他人の存在というものがとても強く意識されてきました。

自分は一人暮らしをしていて、このコロナ禍で他人と会う機会がめっきり減ってしまい、特に緊急事態宣言下の4~5月は自分の連絡不精も相まって他人という存在がすっかりご無沙汰になってしまっていました。
そういう生活をしていると、なんというか、フワフワしてきて、自分という存在がどんどん膨らんで薄くなっていくような感覚がつきまとうようになります。

それがこの電車の中で、久々の他人の存在というものに囲まれていると、膨らんでいた自分という存在がそれらによってぎゅーっと押し込まれていって、元の形に戻っていくという感じがしました。すると今度は、自分と自分以外の境界がはっきりと意識されるようになってきました。この歳でアイデンティティについて改めて実感することもあるんだなと不思議な心持ちになったのを覚えています。

ずっと一人でいてフワフワしていたのは、その自分という存在を覆う境界が曖昧になっていって、何が自分で、どこからが自分じゃないのかが掴めなくなっていたということなのかなと思い返しました。まだはっきりわかっているわけじゃないんですけど。
自分の形を保つには他人の存在が必要なのかなとか、じゃあ自分の望む形に保つのは難しそうだなとか、そういう月並みなことも漠然と考えるようになりました。


ところで、僕はまだ自分がいつか舞台に立って踊る日が来るのだということに全く実感を持てていません。映像でしかダンスを見たことがないので、そもそも舞台上で踊るということのイメージすら持ててません。なんなら自分がダンスを始めたということすら、油断すると頭から抜け落ちてしまいそうな勢いです。

でも仄かに期待していることが一つあって、きっと熱気と音響に包まれているであろう舞台の上で踊るうちに、同じ演目を踊っているサークルの人たちと、自分の間で、境界がとけ合って一つになれるんじゃないかなということです。今も1人でいることが多く、膨らんで薄くなっていく自分がそのうち消えてしまいそうな不安もある中で、そういう感覚を持てるかもと思うと心強いです。そんな日がいつか来るなら、このコロナで色々不安定な日々も頑張っていけそうな気がします。
ダンスの練習も頑張ろうと思います。


次はりこぴんMで一緒のわかなにお願いします。