なぜか幹部代一発目のブログを書くことになりました、20期かににです。幹部代になって1ヶ月以上経過しているみたいですが、オンラインのせいか、自分が作っているのが同期Mで雰囲気が全く去年と変わっていないからかわかりませんが、全く実感がありません。最初に「幹部代」って書いて初めて知ったんじゃないかっていうくらいです。こんなこと書くと、執行とか新歓班とか公演班とか様々なところから何か色々と言われそうですが、本当にありません。同じく、19期さんが引退したというのも、実感がないです。18期さんが引退したのを実感したのも、年が明けて駒外、コミプラ(これでさえ懐かしいな…ほんとに信じられない…)でのM練で18期さんが減っていたんですよね。対面になったらまずこれを実感するんじゃないかなとか思っています。とにかく、早く対面になーれ!

ブログも2回目ということで何を書こうかなと思っていたのですが、21期がみんな自己紹介とかしていたので、自分もしてみようかなと思います。本名は西内大翔で、はると、って読みます。一度も一発で読まれたことがないので、もうそろそろ自力で読める人が現れてもいいな、とか思っています笑

中高時代は弓道と同時に、僕は中二から一昨年まで流鏑馬をやっていました。正確にいうと、まだ流鏑馬の道場にやめると言っていないので、籍だけはあるのかな。もしかしたら除籍されているかもですが。流鏑馬と言ってピンとくるかわからないので一応説明しておくと、馬を走らせて手綱を離してその上で弓を引く、という源頼朝が作った(正規小笠原流はね)伝統競技です。これがまあきつい。ダンスをやっている人向けに馬に乗る姿勢を説明してみると、二番のグランプリエから膝の位置はそのままで爪先だけインに入れて、上体を前に倒してそのまま胸から上は上がってくる。だから、腰は水平だけど胸は立っている状態ですね。だから、太ももの筋肉と背筋がえげつなくしんどい。馬を走らせている時は、流鏑馬では腰を常に浮かしてながら上下運動を膝で全て吸収するので、本当にしんどい。その上で弓矢を両手に持って振り回すから、遠心力がかかって飛ばしそうになるし、細いものを見ると馬は鞭だと思って怖がっちゃうから、馬の視界になるべく入れないように操作しなくちゃいけない。こんな感じで練習の時はきついですが、馬の体を洗ったりとか、馬に餌をあげたりとかする時は他の動物と変わらないので、愛くるしいものですね。それで、流鏑馬をなんでやめてしまったかというと、端的にいうと怪我が怖くなってしまった。一昨年のFreeDの新歓合宿も、直前の練習で走っている馬から落ちて腰を打撲して、運よく骨折だけは免れたのですが、それで行けなかった。これが公演とかの本番の前だったらとか考えると、怪我することで周りに迷惑もかけるし、自分も結構な期間何もできなくなる。怪我自体が痛くて怖いというより、このような状況になるのが怖くなって練習に行かなくなってしまったんですよね...コロナが引いたらなんとかしないとな…

自己紹介というよりも、流鏑馬の説明で終わってしまった感がありますが、ブログではこんなところにしておこうかな。

次は、今一緒にMを作ってくれているひめに回そうと思います。メンズに回したい気持ちももちろんありますが、最初の方でブログを滞らせたくはないので、その気持ちはしまっておきます。とにかくずっと喋っている印象がありますが、このブログではどんなことを喋ってくれるのでしょうか。それでは、ひめ、よろしく!